開かない問題に関する考察。
と言うほどでもないけど。
京王井の頭線沿線の駅前商店街の中に住んでいる。
どんなに疲れて帰ってきても、駅を降りれば1分かからずに帰宅。
とても便利。
ただし、井の頭線は吉祥寺駅・高井戸駅以外は高架駅になっていないので、すぐそこの最寄りのクリーニング店に行くにも、踏切を渡る必要がある。
たいていの場合、それはそんなに大した問題ではなくて、長い時でも3〜4分待っていれば踏切は開く。
でも今日はなぜか様子が違って、まず踏切に着いた時点で様子が違う。
踏切待ちの人たちから、なんとも言えない殺気を感じる。
そして鳴りっぱなしの警告音と、来ない電車!
おそらく踏切の手前のどこかで電車が止まっているらしく、いつまでも電車が来ない。
肝心の電車が通過しないのだから、そりゃいつまでも踏切は開かない。
私の最寄駅は、駅構内の通り抜けが比較的簡単なので、もう諦めて駅の階段を昇って線路をまたぐ廊下を渡って階段を降って踏切の向こう側へ。
踏切の向こう側には、車とバイクの行列。このあたりは一方通行だから、車両は ”引き返して別の道” という手段も取れない。
結局、私が踏切の向こうの喫茶店に到着して、コーヒーを注文して、それが出てきた頃にようやく遮断機の鐘の音が止まった。
Facebook ではタイミングよく、隣駅近辺の飲食店のオーナー氏が「井の頭線の踏切が10分以上開かない」と投稿していた。隣駅でも同じ状況になってた様子。
夜になって「今日のあれは一体何だったんだろう?」と思って井の頭線の HP を見てみた。
... が、遅延証明のページの今日の欄には「遅延証明書の掲載はありません」の一言。
多分、少々の遅れはあったかもしれないけれど、電車自体は問題なく運行してた。
ただタイミングが悪く踏切は全然開けられなかった。
...ということだったのかな?
でもこの「踏切待ち」のために何かに遅刻した人のことは、誰が証明してあげるんだろう?と、変なことが心配になった。
電車が高架線になっていないから味わえる景色の楽しさ(車窓も沿線も)というのもあるし、高架線になっていない以上は「踏切」って安全のためには絶対必要だし...というのは分かっているんですけど、道路を利用する人たちの利便性はどうでもいいの?と思ってしまった今日の一件。
無理に踏切を開けろとは言いませんが、駅からのアナウンスで一言待っている人に「すみません」とか、HP に後から一言出すとか、あってもいいんじゃないかしら。。
ここ数年で小田急線が地下化されて、下北沢の地獄の踏切(オオゼキ前)が廃止になってすごく便利になったのですが、そのときのポスターが「スイスイ計画」。
地下化するとこんなにいいことあるよ!みたいな。
それを見た近隣住民(もちろんみんなじゃないと思うけど)の率直な感想は...
「その前に ”今まで長いことゴメンね” だろーが!」
だったと思う。
言うべき事を言うべきタイミングで言えないこと
言うべきでないことを言ってしまうこと
というのが如何に人をがっかりさせることか。
まず自分がよく気をつけて生きていこうっと。。
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