それは静かに電柱の脇に停まり、アスファルトの道路の隅に散らかった何かを積み込むと去ってゆく。
このあいだの晩も、仕事帰りに駐車場に車を停めて出てきたところで、このクルマを見かけた。少し離れた電柱の陰から見守っていると、運転席から降りてきた人影が道端に積まれた、ちょうど畳を半分に切ったほどの大きさの粗大ゴミらしきものを手早く積み込んでいた。
ー あれは M君の家ではないか
M君はこの街に住む私の数少ない友人のひとりで、田舎からこの街へ画家を志してやってきた男だ。たしか故郷は中部地方のどこかだと聞いた。
なるほどM君の捨てた四角いゴミとくれば、失敗作の油画かなにかかもしれない。画家はたいへんだ。彼に引き比べ私のような音楽を作ることを生業としている者は、まだ救われる。作品が失敗作に終わったところで、無駄にするのはせいぜい紙とインクと創作に使った時間くらいのもので、しかも時間だけは余るほどにあるのだから。
そのとき電柱のうえの切れかけた街燈の灯りがチカチカと、M君の四角いゴミを照らした。ほんの一瞬だったので定かではないが、女性の姿を描いた絵のように見えた。
それから白いワゴン車は古びたイーゼルを積み込んで、静かにエンジン音を響かせながら去っていった。
私は急いで今さっき出てきた駐車場へ戻ると鍵を回した。白いワゴン車が、どうにもただの廃品回収業者のようには思えなかったからだ。
彼(果たして男か女かも分からない)がなにを回収し、それをどこへ運んで行くのか、確かめたくなった。
街から幹線道路へ抜ける道は一本で、私はすぐにそのワゴン車の姿を捉えた。あまり近づきすぎぬよう、かといって見失わないよう、程よい距離を取りながら後ろについて走る。
向こうはというと、私の存在に気づいているのかいないのか、速度を変えることなく夜の街道を走り続けた。
ラジオからはヴァイオリンの演奏が流れている。どこかで耳にしたことのある旋律だが、クラシック音楽には明るくないので、なんの曲だったか思い出せない。街道沿いに続く街灯が、まるで音楽に合わせるようにテンポよく通り過ぎ、光のメトロノームのようだ。
もうどれくらい走り続けただろうか。気がつくと白いワゴン車と私の車は、荒涼とした砂丘の脇にたどり着いた。
ワゴン車はそっと荷台を開けると、積荷を順々に砂の上へ並べていった。
すると、そのうえに、サラサラと砂が覆いかぶさってゆく。風は吹いていない。
まるで大気中に流れるなにかが、空の途中で固まって降り注いでいるかのように、砂はあとからあとから舞い落ちて、並べられた品々を覆い隠していった。
やがて仕事を終えたワゴン車は、また静かにエンジン音を鳴らし、夜の中へと走り去っていった。
ひとり取り残された私は、砂丘の砂をそっとかき分けてみた。
M君の捨てた絵。
やはり女の人の絵だ。抽象的だが美しく、どこか哀しげな佇まい。私はM君の秘密を覗き見てしまったような苛責を感じ、慌てて砂をかぶせた。
少し離れたところには使い古されたギター。糸巻きと湾曲した木製の本体の一部とが、砂から顔を覗かせていた。
そのとなりには、砂がぎっしり詰まったスパイクシューズ。
また少し歩くと白いボタンのついた白い布。料理人が厨房で着ているあの服のようだ。
私はここまできたあたりで、ようやく分かり始めた。
白いワゴン車が集めてくるもの。それは続きを失くした「夢」の残骸なのだと。
いつの間にか、月が空の真ん中に登っていた。月明かりに照らされた砂丘の砂の合間で、ひときわキラキラと光るものに目がとまった。
ー ああ、あれは…
私は確かに「それ」に見覚えがあった。
見覚えがある、どころではない。
まだ10代半ばの時分からほんの数年前まで「それ」は常に私の生活の真ん中にあり、「それ」に触れない日はなかった。
「それ」は、いわば私のすべてだったのだから。
私は懐かしくなり、思わず「それ」に手を伸ばした。砂をそっと払いのけ、昔のように「それ」を手に取ってみた。
けれども、一体なんと説明したらいいのだろうか。「それ」はかつての「それ」とはまったく違っていた。
重さも、手触りも、なにかかも。
そしてかつて「それ」を手にした瞬間に味わっていた心踊るような高揚感が、今はもう欠片も湧いてこないのである。
ー そうか。
自分の口からこぼれた言葉の意味は分からなかったが、すべて分かったような気がした。
そして車に戻ると、そっとエンジンを掛けた。
・・・・・
街に戻ってきたのは、もう空が白み始めた頃だった。見慣れた小さな商店街はまだ、どの店もしっかりとシャッターを閉めて眠っている。
私は駐車場に車を戻し、アパートへの道を歩いた。誰もいない路地の奥、アパートの手前にまたあのワゴン車が停まっている。
朝から回収だろうか。
だかどうやら少し様子が違う。荷台を開けている様子がない。
私はワゴン車の脇をすり抜け、部屋へ戻り眠りについた。
カタン…カタン、アパートの集合ポストに何かを入れている音が、夢の向こうからかすかに聞こえた。
翌朝(といっても昼もとうに過ぎた頃だが)私の家の郵便受けには、なにも入っていなかった。
M君は、故郷に帰ったらしい。